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展示館の作品紹介 G クールベ<ガイヤール城>

展示館は関東短期大学の敷地にあり、学園の情操教育及び研究のために学園が所有している絵画、書簡等貴重な資料を展示しています。今後5回にわたり展示作品の一部をご紹介いたします。



レ・ザンドリーのガイヤール城(ゲヤール城)

ギュスターヴ・クールベ 1868年作

 (写真はクリックで拡大されます)

フランス北西部ノルマンディー地方のレ・ザンドリーは小さな田舎町。セーヌ川を見下ろす90メートルの高台にイングランドのリチャード1世(獅子心王)が1196年に建てたガイヤール城でその名を知られています。ガイヤールとは「頑強な」という意味があり、その名のとおり難攻不落の城だったそうです。建設当時、ノルマンディーはイングランドの領土でした。この領土をフランスから守るためにリチャード1世はわずか2年でこの城を完成させました。費用はイングランド国内に建設した城の倍以上だったと言われています。しかし、リチャード1世の死後、無能の弟ジョンに代わると、1204年にフランス王フィリップ2世によって城は奪取されました。ガイヤール城は、1339年から1453年の百年戦争のときにイングランドとフランスの間で何度か支配が入れ代わり、1599年フランス王アンリ4世の命により取り壊されその幕を閉じます。


(「獅子心王」の名の起こりは二説あります。ひとつはエルサレム近くの砂漠で、ライオンと素手で戦い、ライオンの心臓を口から引き出し倒したためというもの。もうひとつは獅子のような猛々しい心をもった勇ましい騎士であったから、というものです。)

 
クールベがこの作品を描いた1868年は、廃墟となってから270年近く経っています。サロンへの入選を幾度となく果たしたクールベは、この地を訪れどのような思いでこの城を描いたのでしょうか。気性が激しかったと言われる画家には、もしかしたら、かつて攻め入る軍隊を寄せつけなかった堅固な城に自分を重ね合わせたのかもしれません。(ガイヤールは気性の激しい男をいう名前でもあります)


ガイヤール城は、廃城の姿ではありますが、現在もレ・ザンドリーの町で見ることができます。



ギュスターヴ・クールベ

1819年 フランス、オルナンに裕福な地主の子として生まれる

1840年 父親の意向で法律家になるため、パリに出てソルボンヌ大学法学部に入学するが、

      その後画家になるためにアカデミー・スイスに通い、ルーヴル美術館で名画を模写した。

1844年 『黒い犬を連れた自画像』がサロン初入選

1851年 『オルナンの埋葬』が批判を受ける

1855年 パリで万国博覧会開催

       この博覧会に『画家のアトリエ』と『オルナンの埋葬』を出品しようとしたが、

       これらの大作が落選したことがきっかけで、博覧会会場近くに小屋を立て

            「ギュスターヴ・クールベ作品展」を開催。

       この作品展は世界で初めての「個展」と言われている。

1870年 パリ・コミューンに参加し投獄される

1873年 スイスに亡命する

1877年 亡命先で58歳の生涯を閉じる 



参考文献等

『ヨーロッパの古城と宮殿』 藤井信行 著

『王の城と王妃の宮殿物語』 井上宗和 著

『ヨーロッパ古城物語』 ジャン・メスキ著

Wikipedia(ギュスターヴ・クールベ)

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